『グロテスクな教養』の作者の本(2008-10-19)

今夏に公開された押井守のアニメ映画『スカイ・クロラ』は、戦争がテーマである。大空を華
麗に舞う戦闘機たちの映像は、言葉なく「か、かっちょいい・・・」と見とれてしまうばかりだ
った。押井はこの作品で描く戦争は、他の戦争を扱った作品と同様に「かっこいい戦争」だっ
た。しかし実際のところどうだったのだろう、戦争ってやつは。
戦争に参加したというのは、日本ではいつしか戦地において悲惨な体験をしたということを指
すようになった。しかし、本当のところはもっと身近で、もっと些細なところに、つまり戦地
でもなんでもないところに、戦争の悲惨さは口を開いていたのではないか。
高田里惠子『男の子のための軍隊学習のススメ』は、徴兵された男子たちが軍隊の中でどのよ
うな出来事に直面し、どのような思いを抱いたかということを、小説、体験記などに通して明
かにする。そこに書かれているのは、敵国に対する憎しみや、愛国心などといった、スケール
の大きなことばかりではない。いかに徴兵を免れるかという姑息な工作や、年令と階級のやや
こしい交錯、上官との軋轢、イジメ等々。これを読むと分かるのは、少なくとも証言している
人たちにとって戦争とは、『男たちの大和』どころの騒ぎではなかったのである。
そんな中でも、当時の青年たちにとって最も衝撃的で、最も屈辱的だったのは、おそらく肛門
の検査だったのだろう。よく自分の恥部を他人に見られたときに使う表現に「肛門を見られる
ような恥ずかしさ」というのがあるが、それほどまでにアナルとは男にとって(もちろん女性
にとっても)デリケートでアンタッチャブルな箇所なのである。いくら健康診断とはいえ、四
つんばいになって菊門を人にさらけ出すというのは、正気の沙汰ではない。
変な話、肛門検査から逆算すれば、戦死してしまえば恥も掻き捨てということになる。反対
に生き残ってしまったらば、死ぬまで肛門をさらけ出した恥ずかしさを抱えて生きることにな
る。
しかしどうだろう。戦争について語られる言説の中心は相も変わらず、空襲がどうだったとか、
何人死んだということであって、決して肛門検査ではない。何度も言うようだけど、人にケツ
の穴を見られたことのショックというのはなかなか消える類のものではないはずなのに。
フロイトによればトラウマは語り得ない。だからこそ、日本兵たちにとって真のトラウマとは、
あまりに語られすぎている戦争や敗戦という事実ではなく、実は入隊時に受けた肛門検査だった
のかもしれない。だからこそほとんどの人はそれについて語らない。「個人的なことは政治的
なこと」というのはフェミニストの標語であるが、男にだってそうなるときはある。肛門検査
を受けたという個人的経験が、国家規模で背負い込むことになったトラウマと直結していると
いう可能性だって捨てきれない。
戦争に勝っても負けても、肛門検査はある。
そういった意味でも戦争は本当に悲惨なのである。