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新書のご案内

「昭和」を点検する (講談社現代新書)

講談社
¥ 756
平均評価:

購入者の感想です

負け戦に突き進む謎/責任を取らない謎(2008-11-07)

 昭和史ことに第二次世界大戦に向かう日本の岐路を、点検する一冊となっている。
 戦争の昭和史の書き手としては、既に大家の域にある「歴史探偵」保阪正康・半藤一利両氏による公開対談を素材に本書は編まれている。
 この対談に編集者から与えられた切り口は、昭和の戦争の当事者が発する「ありふれた言葉」をキーワードにすることであり、二人の作家は「ありふれた言葉」に潜む日本人の行動原理に迫る。
 既に多くの著作を持つお二人であるが、自身の年齢等を考慮し次世代へ更なる研究の深化を求めるエールを送る一冊となっている。
 個々の登場人物等に関しては、著者たちの他の著作が用意されている。これらの著作群の道案内としての役割と今の時点での解説・補足も、本書は同時に果しているものと思われる。
 「ありふれた言葉」によって、責任を回避し結果から逃避する昭和の日本人の姿は、他の局面においても観察されるものと思われる。
 貴方の周りにも居ませんか?こんな口癖の人、「しかたなかった」「それはおまえの仕事だろう」「ウチはウチ」「この際だから」「(世界の)大勢」。そしてそこから生まれるものは、責任転嫁と情報操作。もし、そんな方が居て責任のある立場にいれば、あるいは立場を求め策動すれば、その動きは要注意です。 
 負けを負けと認めることが出来ない、負け戦から教訓を得ることが出来ない「昭和」の恥部は、現在も続いている。責任転嫁の姿勢は、哀れであり滑稽でさえある。そして、それは人と集団の成長を阻害する。 
 著者のお二人には、大人としての知性以上に昭和史の書き手として潔さが感じられる。

新味はないがよくまとまっている(2008-08-18)

例えば、P186で「原爆投下の際は、まだ内閣も統帥部も和平と決まっていなくて、戦争継続の方針でした」(半藤)とあり、P207で原爆投下の昭和20年について「日本がソ連を仲介にする和平に向けて密かに動きだすのが二月の終わりから三月にかけてなんですね」(半藤)とあある。
こういうブレは随所にあるし、だから雑な本だということではない。
半藤・保阪といった第一人者ですら評価を定められないほど、未だ戦前戦中期の日本中枢の動きには不明瞭な部分が残されているということ(二人が対談で憤っているように日本政府は敗戦後すぐ多くの資料を焼却した)、そして中心を欠いた分散型の権力機構がそれぞれの意思決定を積み重ねた結果、国としての明確な方針に基づく一貫性のある動きは終戦ギリギリまでなされなかったということの証に他ならない。
二人の話者は著作も多く、それらの読者にとって新味のある対談ではないものの、前半は日中日米戦争にずるずると引きずり込まれる日本の意思決定のプロセスや統率の甘さ。後半は指導者達の責任の取り方に焦点を当てて、わかりやすく語られているので入門編として理解しやすい対談である。
意思決定が常に成功するわけではない。しかし失敗したときの責任の取り方は、指導者の資格を問う上で参考にできる。後半、山西省の日本軍残留問題や瀬島龍三について語る彼らの無念そうな口調は、いまだ戦後は続いていて、何も解決していないし総括もできない現実を私たちに突きつけている。

ソ連はノモンハンでドイツ戦の前に日本をビビらせてようと最新兵器をくり出してきた(2008-08-14)

「世界の大勢」「この際だから」「ウチはウチ」「それはお前の仕事だろう」「しかたなかった」という"ありふれた日本語"をキーワードに、今も昔も変わらぬ官僚組織が、それぞれの自己保身をはかる中で、集団でのコントロールを失って、将棋倒しのような形で日米開戦に至り、日本という国を破滅寸前まで追い込んだ流れを語っていきます。

 統制派と皇道派の分裂のキッカケが、「バーデン・バーデンの密約」の時に同じような「高度国防国家」の建設を誓った永田鉄山と、対ソ戦一本槍の小畑敏四郎の対立だったというあたりは「こういう見方もあるんだな」という印象。五ヵ年計画なども取り入れて段階を踏んで国力を増していこうという永田の構想に対して、そんなのは「共産主義こそ世界の大勢と信じる輩と同じ」とみた作戦の鬼・小畑が対立し、やがてソ連の軍事力が高まる前にソ連を叩こうという小畑らの「予防戦争論」と、まずは蒋介石を叩いてからという永田らの「対支一撃論」の激突に至る、と。その中で永田は昭和10年に暗殺され、翌年の2.26事件の粛正で皇道派は一掃され、やがて生き残った東條英機が実権を握るというパターン。これって、官僚組織の中で、最も失点がすくなかった人間が次官になるという今の官僚機構と同じような感じがします。

「戦争の悲惨さ」を語り伝えるより重要なこと(2008-07-28)

今年もまた、あの忌まわしい記憶を嫌でも呼び覚まされる暑い夏が巡ってきた。この時期になると毎年必ず、テレビ、ラジオ、新聞は先の戦争の悲劇を採り上げた特別番組や記事を企画して、あの時の記憶を風化させてはならないと国民に呼びかける。確かに私達が体験したあの「戦争の悲惨さ」を子々孫々の代まで語り伝えて行くことは、二度と同じことを繰り返さないためにどうしても必要であり、私達の世代の義務でもある。
だがその努力だけで、本当に戦争のない、平和な世の中が実現できるのだろうか? 日本人のそんな悲痛な叫びと祈りにも係わらず、六十数年経った今も、世界中のいたるところで戦争は起きているし、かっての戦勝国は一向に反省しようともしないで、同じことを繰り返している。一体私達が味わったあの苦しみ、悲しみは何だったのか、空しくなる。
この数年来私は、あの「戦争そのもの」よりも、むしろどうしてあの戦争が起きたのか、その原因となった歴史の真実を明らかにし、二度とそれを繰り返さないよう努力することの方が、より大切なのではないかと考えるようになってきた。それは日本だけでなく、かっての戦勝国も同じ努力をすべきである。そんな時に、この本の帯に書かれた「なぜ、無謀な戦争に突入していったのか」という副題が目に入った。
無論新書版一冊でその答えが全て分かるものではないが、半藤さんの「昭和史」(1926→1945)を読んだ結果よりもう少し詳しい状況が掴めたような気がする。 (71歳、男性)

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