

では、何故これが大事なのかと考えたところ、東洋の英知を西洋にもたらそうとした、その行為がしめす論証が、東洋人の私にとっては、日本における日常茶万事の発想の仕方と受け取れたのです。
逆に言えば東洋のよさを発見しきれない私がそこに居た。
現在、西洋の物まねばかりして、東洋を放棄してしまっているならば、それは、自由からは程遠いのではなかろうか。世俗的な自由に振り回されて自由を謳歌しているつもりでも、それを自由とは呼べるものなのだろうか。
はっきり、否と答える。
自由と言うことばを使わず、自由を考えてみる。